株式会社スプラウト 代表取締役 坂下 五男 の日記 | 経営者会報 (社長ブログ)
2013年06月24日(月)更新
断捨離 でも写真だけは残したい
そうだ、この機会に書斎の整理をしてみようと思いついた。
書斎といったってそんなに広いことはなく、6帖あるかないかの狭いスペースだ。
まず、パソコンのすべてのコードを抜いて机上からのけた。
パソコンの置いてある机は意外と普段使わないものを積み重ねている。
そして、プリンターも外して、ここの余分なものも処分した。
また、本棚にももう読まなくて埃をかぶっている本がたくさんあり、これらも思い切って捨てることにした。
かつては必需品だった専門書も、もうこれからは要らないと結論づけてゴミで出すことにした。
また、作りづけというか、部屋に合わせて作ったもろもろの物の収納棚の中身も一つ一つ吟味して
整理した。
それから押し入れの最上段の古いアルバム、これが一番難しい問題で、小さい頃の写真や会社員時代、
海外出張の写真は捨てるわけにはゆかない。
写真による自分史を生業としてから、一部の写真は使用したが、大部分はアルバムに納まったままだ。
このように書斎、といってもせまい一部屋の片づけだけでも、改めて見ると未練が残って、捨てないでまだまだ
使うことがあるかもしれないと思ってしまう。
ここは今はやりの言葉「断捨離」で思いきることにしなくては、いつまでも部屋は要らないものでいっぱいのままだ。
ここ数年のうちに作成したスプラウトのチラシも、今は新しく作り直している。
しかし、古いチラシも結構味があるものだ。
2013年06月16日(日)更新
プロ野球コミッショナー
いまプロ野球の話題はセパ交流試合。
そんな筈だったが、話題は選手たちが使うボールのことで連日話題は沸騰。
詳しくいうと試合に使うボールが選手たちの知らない間に変更になっていたということ。
このボールの変更は日本プロフェッショナル野球機構(NPB)が行う。
今回はこのNPBの代表的採って存在のコミッショナーが私は知らないと言っていること。
そして、責任を取って辞め様としないこと。
この機構のトップがコミッショナーで、辞めない理由は今回は不祥事ではないと言っている。
ボールによって、ヒットやホームランも増えたり減ったりする。
投手は例年より被安打数も変わってくる。
こんな重要なことを知らぬ間に勝手に変更されていた選手はたまらない。
この辞めないと言っているコミッショナーを調べてみると、
加藤 良三 東大卒 1941年生まれ 71才 元駐米大使 とある。
野球に関してはあまり詳しくないらしい。
経歴を見てもとてもとても立派、こんな偉い人ならどんな問題にも的確な判断を下すであろう。
とみんな思うけれど、なぜ今回トップとしてのトップらしいジャッジが出来なかったのか。
この加藤騒動で感じることは、いままでこの人の業績は分からないが、これですべてが
加藤良三はこの程度の人物かと多くの人に思われてしまう。
国でも会社でもトップはその資質を磨かなくてはならないことを教えてくれた。
これだけはこの人の功績だと思う。
本項では、日本プロ野球の内、主に日本野球機構/日本プロフェッショナル野球組織(NPB)のコミッショナーについて記述していく。
NPBにおける最高責任者であり、かつ最高の権限を有する。社団法人日本野球機構における会長でもある。
NPB以外では、四国アイランドリーグplusが2004年に四国アイランドリーグとして発足した当初から、石毛宏典が務めていたが2007年12月に辞任し、以後は任命されていない。
2013年06月11日(火)更新
金婚式夫婦に感動
奥様とはあるエッセーの会で知り合いだったのだが、このたび金婚式を記念にいままで
撮ってきた8ミリフィルムやビデオをDVDにダビングしたいと相談に来られた。
子供さんたちの成長記録も残しておきたいけれど、とくにご主人のアメリカでの単身赴任の
記録をDVDに残して置きたいというのが、最大の願望のようだった。
弱冠二十歳すぎで、ニューヨークやワシントンの風景も映像に収められているので、
ご主人にすれば、若かりし時の思い出をご自分や子供さんたちのために劣化の少ない
DVDにと考えられたものだ。
今の仕事柄、いろいろなご夫婦の生きざまを写真やビデオなどで拝見することが多いが、
プライバシーの問題で明らかに出来ないけれど、同じ世代としていつも自分の人生と
比較してしまうことが多い。
そして、なんと素晴らしい人生を送ってこられたものだと感心することも多い。
2013年06月06日(木)更新
一枚の写真にふるさとを思う
グミとか桑とかがこんな都会で見かけること自体珍しいこと、田舎出身の同好会員には懐かしい話題となった。
グミや桑から思い出すことは、敗戦後の貧しい生活だ。
とくに桑、すなわち養蚕でかなりの生計の足しにしていた我が生家とその地域、小学校頃のことだから詳しくは記憶していないが、親たちの朝早くから夜遅くまで働き詰めの姿が今でも目に浮かぶ。
今では信じられないが、母屋が蚕を育てる作業場となって、生活を楽しむスペースは狭くても辛抱していた。
蚕は桑の葉を食べて育つので、桑の葉の摘み取りと保管が大仕事だ。
桑の葉の保管は、家のすぐ裏が花崗岩のがけだったので、その崖に横穴を掘ってそこに保存していた。
この横穴は温度が一定で、桑の葉っぱの保管にはいい条件だった。
ただ、蚕には新鮮で瑞々しい葉っぱでないと食べないので、いつも葉っぱには水をかけていたと記憶している。
蚕の食事の手配も大変だけれど、母屋に作った蚕棚の部屋はいつも一定の温度に保たなくてはならず、床下の暖房がこれまた大変なことだった。
たしか、暖房には練炭が使われていて、蚕の飼われている部屋は暖かった。
ただ、蚕が桑の葉を食べる音がしたものだった。
このように年を重ねると、昔のことはよく覚えているし、また同じ経験をしたもの同士の会話はいつまでも尽きない。
いまスプラウトでは写真による自分史などを生業としているが、高齢の方たちは昔のことになると声が弾み、いきいきとされる。
こうして見ると人の人生は短いようだけれど、いろいろな暮らしや経験をされて人生は長く感ずることもある。
グミと桑の実が遠い昔を思い出させてくれた。
- 8月になると思い出す。 [08/13]
- 千客万来 [07/11]
- 断捨離 でも写真だけは残したい [06/24]
- プロ野球コミッショナー [06/16]
- 金婚式夫婦に感動 [06/11]
- 一枚の写真にふるさとを思う [06/06]
- 5月を振り返って [05/31]
- 新商品「納経洛楽軸」「写経洛楽軸」をウエブサイトにアップ [05/24]
- タブレットの買い替え [05/22]
- 明日満73歳を迎える。 [05/20]
コメント一覧