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2013年06月11日(火)更新
金婚式夫婦に感動
奥様とはあるエッセーの会で知り合いだったのだが、このたび金婚式を記念にいままで
撮ってきた8ミリフィルムやビデオをDVDにダビングしたいと相談に来られた。
子供さんたちの成長記録も残しておきたいけれど、とくにご主人のアメリカでの単身赴任の
記録をDVDに残して置きたいというのが、最大の願望のようだった。
弱冠二十歳すぎで、ニューヨークやワシントンの風景も映像に収められているので、
ご主人にすれば、若かりし時の思い出をご自分や子供さんたちのために劣化の少ない
DVDにと考えられたものだ。
今の仕事柄、いろいろなご夫婦の生きざまを写真やビデオなどで拝見することが多いが、
プライバシーの問題で明らかに出来ないけれど、同じ世代としていつも自分の人生と
比較してしまうことが多い。
そして、なんと素晴らしい人生を送ってこられたものだと感心することも多い。
2013年06月06日(木)更新
一枚の写真にふるさとを思う
グミとか桑とかがこんな都会で見かけること自体珍しいこと、田舎出身の同好会員には懐かしい話題となった。
グミや桑から思い出すことは、敗戦後の貧しい生活だ。
とくに桑、すなわち養蚕でかなりの生計の足しにしていた我が生家とその地域、小学校頃のことだから詳しくは記憶していないが、親たちの朝早くから夜遅くまで働き詰めの姿が今でも目に浮かぶ。
今では信じられないが、母屋が蚕を育てる作業場となって、生活を楽しむスペースは狭くても辛抱していた。
蚕は桑の葉を食べて育つので、桑の葉の摘み取りと保管が大仕事だ。
桑の葉の保管は、家のすぐ裏が花崗岩のがけだったので、その崖に横穴を掘ってそこに保存していた。
この横穴は温度が一定で、桑の葉っぱの保管にはいい条件だった。
ただ、蚕には新鮮で瑞々しい葉っぱでないと食べないので、いつも葉っぱには水をかけていたと記憶している。
蚕の食事の手配も大変だけれど、母屋に作った蚕棚の部屋はいつも一定の温度に保たなくてはならず、床下の暖房がこれまた大変なことだった。
たしか、暖房には練炭が使われていて、蚕の飼われている部屋は暖かった。
ただ、蚕が桑の葉を食べる音がしたものだった。
このように年を重ねると、昔のことはよく覚えているし、また同じ経験をしたもの同士の会話はいつまでも尽きない。
いまスプラウトでは写真による自分史などを生業としているが、高齢の方たちは昔のことになると声が弾み、いきいきとされる。
こうして見ると人の人生は短いようだけれど、いろいろな暮らしや経験をされて人生は長く感ずることもある。
グミと桑の実が遠い昔を思い出させてくれた。
2013年05月20日(月)更新
明日満73歳を迎える。
明日5月21日で満73歳となる。
したがって今日が72歳の最終日、もうすぐ午後1時だからあと72歳も11時間ほどだ。
こんなに年齢をカウントダウンしても何の意味もないようだけれど、人生はずっと繋がっているから、今日を無事に生きて明日がある。
昨日ある集いで、私よりかなり年配の方のあいさつが頭に焼き付いている。
その方はここ2年間大病を患われて、こんな集いに出てくるのも久しぶりとのこと。
おそらくずっと入院されていて、命とか健康について考えることが多かったのだろう。
その方はいま私にとってもっとも大切なのは今、ナウということですと話された。
わたしもなるほどと実感した次第。
このことは人の命だけでなく、企業にとってもあてはまることだ。
商品にライフサイクルがあるように、企業にも成熟から衰退の時期に向かうことが一般的。
成熟というかピークを維持するには、たえず活性化させることが必要になってくる。
池の水が入れ替わらなければ淀んでしまうのと同じ。
そこで73歳以降をどのように生きて行くか、一日一日の積み重ねで「今日もおかげさまで無事だった」
ということも大切だけれど、何よりも明日とか明後日突然にマイナスの状態にならないように、年寄はそれなりに
日ごろから管理していくこと、これがもっとも必要と考える。
とりとめのないことを書いてしまったが、これから喜寿や傘寿を無事に迎えられるよう、その対策をじっくりと講じることにしたいと思う。
2013年05月16日(木)更新
定年後の生き方
昨日のことだが、定年を過ぎたばかりや、もうかなり経った人たちが集まってバーベキューをした。
企画したのは定年にはまだまだの比較的若い人。
いつも定年後を若々しく過ごそうという目的の親睦会のメンバーに呼びかけた。
開催場所は個人宅の庭で、参加者は15名ほどのようだった。
ほとんどが毎日日曜日の人だから、結構集まったものだ。
私は参加できなかったが、バーベキューの雰囲気は写真で読みとれた。
本当に楽しそうな笑顔で、皆さんは幸せに満ち溢れた表情だった。
皆さん個人は、現役の時はそれなりに立派な職業につかれ、地位も名誉も得られた人ばかり。
でも、いまではそんな過去には全く関係なく、社長も先生も弁護士もなんとかさんと呼び合う。
平均したら70代くらいか、そんな年代でも仕事関係なく仲間ということ。
すばらしいことだと思う。
伴侶を亡くした人も、最近結婚した人も、体調を崩してちょっと休養中の人も、みんなでワイワイガヤガヤは
時間の経つのも忘れてしまう。
高齢になっても(既になっているが)こんな仲間との交流を続けたいものである。