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2013年06月06日(木)更新

一枚の写真にふるさとを思う

私が主宰している少人数のメーリングリスト写真同好会、そこに大阪市内のグミの実との実が投稿された。
グミとかとかがこんな都会で見かけること自体珍しいこと、田舎出身の同好会員には懐かしい話題となった。

グミや桑から思い出すことは、敗戦後の貧しい生活だ。
とくに桑、すなわち養蚕でかなりの生計の足しにしていた我が生家とその地域、小学校頃のことだから詳しくは記憶していないが、親たちの朝早くから夜遅くまで働き詰めの姿が今でも目に浮かぶ。

今では信じられないが、母屋が蚕を育てる作業場となって、生活を楽しむスペースは狭くても辛抱していた。
蚕は桑の葉を食べて育つので、桑の葉の摘み取りと保管が大仕事だ。
桑の葉の保管は、家のすぐ裏が花崗岩のがけだったので、その崖に横穴を掘ってそこに保存していた。

この横穴は温度が一定で、桑の葉っぱの保管にはいい条件だった。
ただ、蚕には新鮮で瑞々しい葉っぱでないと食べないので、いつも葉っぱには水をかけていたと記憶している。

蚕の食事の手配も大変だけれど、母屋に作った蚕棚の部屋はいつも一定の温度に保たなくてはならず、床下の暖房がこれまた大変なことだった。
たしか、暖房には練炭が使われていて、蚕の飼われている部屋は暖かった。
ただ、蚕が桑の葉を食べる音がしたものだった。

このように年を重ねると、昔のことはよく覚えているし、また同じ経験をしたもの同士の会話はいつまでも尽きない。

いまスプラウトでは写真による自分史などを生業としているが、高齢の方たちは昔のことになると声が弾み、いきいきとされる。

こうして見ると人の人生は短いようだけれど、いろいろな暮らしや経験をされて人生は長く感ずることもある。
グミと桑の実が遠い昔を思い出させてくれた。
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